渚のお釈迦サマー

実に適当なブログです。

午後の紅茶の日に僕は愛を語る

5月5日は「午後の紅茶の日」らしい。
ええ!そうなのか、と愕然としたのは、僕が午後ティー好きで巷を騒がせているからであろう。
いや、知らないよという声をあるが、少なくと僕の周りの知人には周知の事実として知れ渡っている。

 

すると便利なことが起きる。
よく人から奢ってもらう時に「何飲む?」の件がカットされ、「お前は午後ティーだろ」という熱い視線を送られるのだ。
知らず知らずの内に会話のエコに貢献しているという満足感も得られ、ますます僕は午後ティーを愛さずにはいられなくなる。

 

そんな僕が午後ティーの日を把握していなかったとは、なんたる不覚。
もうとにかく午後ティーさんに申し訳なくて、土下座を超えたハイパー土下座なるものの考案に1時間を費やしたぐらいだ。
なので結局土下座はしていない。

 

ハイパー土下座の案としては、次の例が浮かんだ。

 

①頭をどうにかして股をを越え背中にくっつける。
これは僕がタコであれば出来たであろうが、残念ながら僕はタコではない。
墨も吐けないし、食べてもきっと美味くはない。
食べられたことはないけれども。

 

②頭をどうにかして地中に埋める。
この方法には俊敏さと勢いが大切である。
ぐりぐり地中を削るようにするのではなく、もう一瞬で、どん!という音と共に頭を地中に埋めるのだ。
そうするにはジャンプでもして、勢いをつけなければ叶わないだろう。
ただこれは外でなければ実現不可能な技だ。
室内で行うとケガをする、いや、どっちにしても重傷だ。

 

済まない、2つしか案は浮かばなかった。

 

だがしかし、僕はなんとミルクティーしか飲まない。
他にもレモンティーさんやストレートティーさんがいるのだが、小学生以来彼らと親しくすることはなかった。
別にいじめられたわけでもなければ、転校して遠い地へ行ってしまったわけではないが、気づけば疎遠になってしまった。

 

その代わりに、僕は荘厳なる愛をミルクティーに注ぎ続けたし、でかめのコップにも注ぎ続けた。
かれこれ小学生の頃から飲み続けているので、20年近くは愛し続けている。
夫婦だとすれば、おしどり夫婦と呼ばれてもおかしくはない。

 

だが、おしどり夫婦にも危機が訪れた時もあった。
突然、「もうお前には飽きたんだよ」と思い立ち、僕の中でスポーツドリンクブームが一大ムーブメントを巻き起こしたのである。
愛よりも流行(僕の中で)をとってしまったのだ。

 

ところがそんな2人は運命の悪戯のように再び相まみえる。
僕の流行はとっくに終わっていて、寂しくてしょうがなかった僕は、離れて気づく大切さに打ちひしがれた。

 

「やっぱお前じゃなきゃ愛せないよ」

 

こうして2人は元のさやに納まったのだ。

僕はこれからも、きっと死ぬまで午後ティーを飲み続けることだろう。
午後ティー(ミルクティーさん)よ、それまでどうぞお付き合いください。