初心者が英語を教えてみる(真剣に学びたい人は読まないほうがいい)①主語と動詞の英文(真剣に学びたい人は読まないほうがいい)
ここ最近のことだけれども、日本語も覚束ない僕が英語という、それはそれは偉大な言語を勉強している。
その偉大さについては、ここで語るのも憚られるが、せっかくなのでアウトプットも兼ね、ここで初心者が英語を説明するという奇怪かつ珍妙極まりないことをやってみようと思う。
つまり間違って説明している可能性は大だが、見逃して欲しいということだ。
ここで説明した英語を子供が使っていても、大人が大胆不敵に使っていても責任は持てない。
そんな責任、僕には重すぎる。
第1回目の今回は、主語と動詞の英文について学んでいくことにしよう。
英文の形として、主語と動詞というものがある。
主語と言うのは「私」とか「あなた」とか、要は「誰が」ということだ。
動詞は「~する」とか主に行動系の単語である。
Lesson① 主語+be動詞
I(主語) am(be動詞) Sapporo.(私は札幌です。)
I(主語) am(Be動詞)Fukuoka.(私は福岡です。)
私こそが札幌なのです、私こそが福岡なのです、という自己主張強めの発言。
こんな英文は存在しいし、使う機会もないのでいっその事忘れてしまうといい。
Lesson②主語+一般動詞
★一般動詞とはbe動詞以外の動詞である。(play、haveなどなど)
I go to hell.(私は地獄へ行きます。)
I play the laugh Bag.(私は笑い袋を演奏します。)
laugh Bagとは笑い袋のことであり、押すと奇妙な男の声が聞こえるものである。
これを楽器とみなしていいのかはわからないけど、そこをあえて使用するチャレンジ精神を評価して欲しい。
チャレンジ精神とはいつまでも忘れてはいけないものだ。
ちなみにbe動詞と一般動詞の使い分けは、日本語に訳してみて動きがあれば一般動詞、という感覚で間違いない(と思う)。
演奏する、とか、スポーツをする、とか(多分)。
語尾の母音が「u」の場合は大抵一般動詞である(はず)。
では今回はここまで。
人生も英語も曖昧なのがちょうどいい。
そう思うんだ。
前へおやすみなさい!
以前、あるイベントで列にならんでいた時の話。
結構な込み具合で、なかなか列は前に進まなかった。
そんな時、係員さんが声を張り上げてこう言ったのだ。
「前へおやすみなさい!」
空は青くて、太陽は燦然と輝いている。
まだ寝るには早い時間帯だ。
おやすみなさいと言われる筋合いはまだない。
僕は聞き間違いかと思い、再度その係員さんに耳を傾けた。
「前へおやすみなさい!」
いや、これは絶対におやすみなさい宣言している。
仕事中に高らかとおやすみなさいと言える度胸を僕は買いたいのだが、果たして本当にそう言っているのか、僕は訝った。
よく考えてみて欲しい。
そんな人見たことがあるだろうか。
仕事中に大声で「おやすみなさい」
そうだ、そんなわけない。
「前へおやすみなさい!」
いや、言っている。
それにしても「前へおやすみなさい」とはどういうことだろう。
「おやすみなさい」だけならわかるのだが、その前に「前へ」が付いている。
この余計な付属品が僕を惑わせた。
最終的な結論としては、おそらく敬礼的なものだったのではないか、ということだ。
「教官に礼!」とか、「前へならえ!」みたいなことなのではないだろうか。
つまり我々は「前へおやすみなさい!」!と言われたのならば、前の人におやすみなさいと言わなければならなかったのではないだろうか。
そう考えると、僕は係員さんに悪いことをした気になったのだが、さらに熟考を重ねると、それはそれで意味がわからないという極地に辿り着いた。
なぜ前の人におやすみなさいを言わなければならないのだ?
なんなのだ。
その三日後に、あれは「前へお進みください」と言っているのだと、突然閃いた。
閃きって大事なんだと再認識した。
午後の紅茶の日に僕は愛を語る
5月5日は「午後の紅茶の日」らしい。
ええ!そうなのか、と愕然としたのは、僕が午後ティー好きで巷を騒がせているからであろう。
いや、知らないよという声をあるが、少なくと僕の周りの知人には周知の事実として知れ渡っている。
すると便利なことが起きる。
よく人から奢ってもらう時に「何飲む?」の件がカットされ、「お前は午後ティーだろ」という熱い視線を送られるのだ。
知らず知らずの内に会話のエコに貢献しているという満足感も得られ、ますます僕は午後ティーを愛さずにはいられなくなる。
そんな僕が午後ティーの日を把握していなかったとは、なんたる不覚。
もうとにかく午後ティーさんに申し訳なくて、土下座を超えたハイパー土下座なるものの考案に1時間を費やしたぐらいだ。
なので結局土下座はしていない。
ハイパー土下座の案としては、次の例が浮かんだ。
①頭をどうにかして股をを越え背中にくっつける。
これは僕がタコであれば出来たであろうが、残念ながら僕はタコではない。
墨も吐けないし、食べてもきっと美味くはない。
食べられたことはないけれども。
②頭をどうにかして地中に埋める。
この方法には俊敏さと勢いが大切である。
ぐりぐり地中を削るようにするのではなく、もう一瞬で、どん!という音と共に頭を地中に埋めるのだ。
そうするにはジャンプでもして、勢いをつけなければ叶わないだろう。
ただこれは外でなければ実現不可能な技だ。
室内で行うとケガをする、いや、どっちにしても重傷だ。
済まない、2つしか案は浮かばなかった。
だがしかし、僕はなんとミルクティーしか飲まない。
他にもレモンティーさんやストレートティーさんがいるのだが、小学生以来彼らと親しくすることはなかった。
別にいじめられたわけでもなければ、転校して遠い地へ行ってしまったわけではないが、気づけば疎遠になってしまった。
その代わりに、僕は荘厳なる愛をミルクティーに注ぎ続けたし、でかめのコップにも注ぎ続けた。
かれこれ小学生の頃から飲み続けているので、20年近くは愛し続けている。
夫婦だとすれば、おしどり夫婦と呼ばれてもおかしくはない。
だが、おしどり夫婦にも危機が訪れた時もあった。
突然、「もうお前には飽きたんだよ」と思い立ち、僕の中でスポーツドリンクブームが一大ムーブメントを巻き起こしたのである。
愛よりも流行(僕の中で)をとってしまったのだ。
ところがそんな2人は運命の悪戯のように再び相まみえる。
僕の流行はとっくに終わっていて、寂しくてしょうがなかった僕は、離れて気づく大切さに打ちひしがれた。
「やっぱお前じゃなきゃ愛せないよ」
こうして2人は元のさやに納まったのだ。
僕はこれからも、きっと死ぬまで午後ティーを飲み続けることだろう。
午後ティー(ミルクティーさん)よ、それまでどうぞお付き合いください。