渚のお釈迦サマー

渚のお釈迦サマー

実に適当なブログです。

会いたくて会いたくて会えなくて。

 会いたくて会いたくて。

 会いたくて会えなくて。

 この様な歌詞が巷では溢れている。ありきたりではあるが、切なく悲しい擬かしさを受けるこの言葉は、聴く人の共感を得やすいのだろう。

 だがしかし、その後に続く言葉は多種多様を極めている。会いたい、と思った結果は人それぞれ違う、ということだ。

 例えば、ある人はその結果、震える。

 風邪かな?とも思ったが、どうやら違う。酔っているのかな?とも思ったが、違う。いやまあ、自分に酔っている気もするが、そういう話ではない。

 精神疾患かその辺りの何かだと思う。

 また、ある人は揺れ惑う。

 これは途轍もなくショッキングだ。ただ惑うだけではない。揺れているのだ。

 その、揺れ、が具体的にどういうことかはわからないが、思うに体をグワングワンと左右に揺れているんだと思う。

 そして惑う。

 あれ…ここはどこ…?自分は一体誰…?

 これはもう病気だ。

 更にある人は、長すぎる夜に光を探す。

夜を長すぎると感じるのは、多分徹夜をしているせいだと思う。そして、光を探す。

 これはもう早く寝たほうがいい。会いたい、とか言ってる場合ではない。

 

 会いたい気持ち。

 それはいつしか人をおかしくしてしまうのかもしれない。

夏ってさ、寂しがり屋なんだよ。

今週のお題「夏を振り返る」

 

 振り返れば夏がいた。

 もう終わった、と安堵していた。

 自分は冬生まれで、そのせいなのか、よくよく考えたらわからないが、夏はしんどい。

 暑さのせいで、頭痛はするし、体はだるい。

 汗も出る。奴らは「出ないでよ!」と言っても出てくる。よりいっそう出てくる。嫌がらせなのかもしれない。

 そんな嫌がらせ大好きな夏に、ある日別れを告げられた。

「さようなら。また会いましょう」

 夏はそう言って、去って行った。不思議と悲しくなる。

 そして、次の日、秋が「こんにちわ」と言ってきた。久しぶりに会った秋は、切なさに溢れている。

 自分はそれに「1年ぶりですね」と返答した。待ち望んだ秋に高揚し、自然と声が弾んだ。

その時は、もうTシャツも終わりか、と哀愁を漂わせたりもした。何だかんだあったけど、悪い奴ではなかったな、と思い耽ながら。

 すると次の日、なんと、あの夏が「こんにちは」してきやがった。「すいませーん。忘れ物しちゃってー」とか何とか言いながら。

 夏と共に、汗が再び出てきて、自分の体に粘っこく絡んだ。苛立ちが、以前の悲しみをノックアウトした。

 戻ってくるの早くない?結婚5回目ぐらいの長女よりも早い出戻りだよ。

 なぜ?の前に、まずは殴ろう、と思った。この日の為にとっておいた渾身の一撃を喰らわそう、と思った。

 しかし、相手は季節という最強種族。

 ドラクエで言えば魔王、ワンピースで言えば四皇、ドラえもんで言えばギガゾンビ。そんな奴にたちうち出来る筈がない。ギガゾンビはちょっと違うか…

 仕方なく自分は夏を受け容れた。

 それはひと夏の、行きずりの男女関係によく似ていた。

F・スコット・フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」を読んでみた。

 村上春樹さんが言ってた。

 この小説マジおもしれー!って。

 実際そんな言い方していないと思うが、自分の頭の中の村上春樹さんはそんな口調だった。

 おそらく頭の中の村上春樹さんは、髪がピンクで、がっつりピアスあけまくっている。そして、ぽんぽん!言ってる。

 そんな空想の、いや違う、実際の村上春樹さんが面白いと仰っていた作品「グレートギャツビー」

 ミーハー心で読んでみた。

 

 主人公は、ギャツビーの隣に住んでいた。ある日、ギャツビーの家のパーティーに呼ばれ、ギャツビーと面識をもつ。

 ギャツビーは金も名誉も持っていたが、それらは作られたものだった。

 そしてギャツビーにはある願いがあった。それはとても貴い願いであった。

 

 この物語は、ギャツビーの過去に起因している。今のギャツビーから見ると、決して誇れる過去ではないことは確かである。

 そんなギャツビーに惹かれる主人公。面識を持った時の彼はテンションマックスだった。なんせ夢のようなパーティーに参加し、その幹事に出会えたのだ。

 自分も若い頃パーティーに参加したことがある。その幹事は、髪がピンクで、ピアスがっつりあいてたので、その時点で帰ったのだが、ギャツビーはそうではない。

 紳士だったのだ。それは作られたものだったけれども。

 終盤に入ると、ある事件のせいで、ギャツビーの周りには誰もいなくなってしまう。

 剥がされた紳士に主人公は必死になる。ギャツビーのことを儚く思い耽る。

 そして、最後にギャツビーのいた街を去る主人公。それは同じ境遇にならなければ、真からはわからない気持ちだと思う。

 ギャツビーの存在は作られていた。

 だがしかし、主人公にとっては、それも含めての「偉大なるギャツビー」だったのではないだろうか。

又吉直樹「火花」を読んでみた。

 とりあえず読んでみるか。

 最初はそれぐらいの意気込みで読んだ「火花」は、上手いこと自分の心をさらった。一本取られた、とはこの事だ。

 まず思ったのは、ちゃんと小説だ、という驚嘆。

 語彙の多さもさる事ながら、純文学作品と言って差し支えない内容。

 そして面白さ。

 この物語は、2人の芸人の師弟関係を主軸としたお話で、度々起こる2人の芸人ならではの出来事、掛け合いがコミカルで非常に面白い。

 思えばシリアスな展開であるはずなのに、2人の掛け合いのせいで、ふと笑いが溢れる。

 それが、後味をより哀愁深くさせているのだが、これはやはり芸人又吉直樹さんならではだと感じる。

 また、この小説には芸人そのものが描かれている。芸人誰しもが持つ苦しみや恐怖、不安。そして様々なタイプの芸人。将来への展望。

 その結果、2人の関係は少し変わったけれど、きっとこの先も師弟関係は変わらずに続くのだろう。

 不器用な2人の物語は、不器用だからこそ面白いのだ。

 2人の幸せを願いたいと思う。

それは、ねじ込めばねじ込む程に。

 街中を歩いていて、細身のジーンズを履いている女性を見ると、つい心の中で叫んでしまう。

 あ、タイトなジーンズにねじ込んでる。

 何を言っているのか、わからない方もいることだろう。意味がわからないと。

 それはBoAさんを知らない人なら尚更意味不明だと思う。知っている人でも、そんなこと思わねーよ、と呆れてしまうことであろう。

 これはBoAさんが2002年に発表した「VALENTI」という楽曲の歌詞である。

 自分はその時から、主に細身ジーンズの女性を見る度に思ってきた。

 タイトなジーンズにねじ込んでる、と。

 だからといって、別に欲情しているわけではない。ただ単に思うだけなのだ。

 もちろんだが、声には出さない。当たり前だが、人前でそんな発言をすればタダでは済まないことになる。

 その時、一緒にいるであろう人物からは、これでもかっ!という愛想笑いをされ、それを聞いていたであろう通りすがりの人々からは、後々「いやいや、何?今の何?笑」と侮蔑されること間違いなしだ。

 だから必死に、声には出さないように努めている。

 だが、たまに自分自身ジーンズにねじ込んでみたい願望にかられる時もある。そんな時はいっそのこと、ねじ込んでみる。もちろん家で1人の時限定で、だ。

 その時はすこぶる至福に満たさる。世界はこんなに素晴らしいものだったのか、と錯乱する。

 一体お前は何をやっているんだ、と思われることであろう。それは自分でも思っている。しかし止められないのだ。

 そんな自分は今日も家で1人、タイトなジーンズにねじ込む。

 これでもかっ!て、ぐらいにねじ込む。

夜は人をセンチメンタルにする。

 吸い込まれそうな夜。静かに歪んでいく夜景は月を混ぜて、虚しく微笑んでいた。それは高笑いの様にも見えた。

 このビルの最上階には小さな喫煙所がある。その横に扉があったので、カメムシ程の小さな好奇心がそれを開けた。屋上だった。

 今時珍しく解放された屋上には誰もいなかった。勿体ない。

 この街は夜景が綺麗だ。だけど危うい。鋭い刃物がそこら中に隠れている。

 突き刺さる様な風に、着ていたカーキのシャツが揺蕩う。油断すると、シャツの中にある大切な何かも吹き飛ばされそうになる。大切な何かは壊れやすいので、飛ばされない様にしっかりと抑えていないといけない。

 夜景を綺麗だと思える年齢になった。何故だろう、目から涙が、いや、それは出なかった。出るようになるには更なる歳月が必要みたいだ。

 何となく、頑張ろう、と思った。矮小で、在り来たりな言葉だけど、センチメンタルなこの場所と景色は、下らない言葉と感情を粛々と運んでくる。

 夜の闇に負けない様に、頑張ろう。

 いつかその夜を吸い込んでやろう、と誓った。

40秒で支度することの難しさ。

 天空の城ラピュタの名ゼリフ1位が、「40で支度しな」に決まったらしい。

 それを聞いた自分は、え!「バルス!」じゃないの?と、驚嘆の声を上げた。

 ラピュタをちゃんと見た事がない自分はバルスこそがラピュタであり、ラピュタこそバルスなのだと勘違いをしていたのだ。

 今まで、会話でラピュタの話題が出たらとりあえず「バルスバルス」と言っていた。それが最大限の自分が得ているラピュタの知識であったからだ。

 しかし、どうやらバルスは古いらしい。名ゼリフ2位にはつけているものの、もはやバルスでは乗り切れない時代になってきているのかもしれない。

 それを知った翌日、早速「40秒で支度しな」を使おうと企んだ。職場で、多少強引ではあるが使用してみることにした。

 休憩室での会話である。そこには一人の中年男性がいた。世間話などで場を繋ぎ、そしてタイミングは訪れた。

 中年男性は言う。

「…あ、じゃあ俺そろそろ戻るわー」

 正確には、ベストなタイミングはここではない。わかってはいるが、どうしても言いたくて仕方ない自分は意を決して、その言葉を放った。

「40秒で支度しな」

 結構なドヤ顔で言った。だが、やはりタイミングが違ったみたいだ。そもそも会話のキャッチボールすら成り立っていない。酷い暴投だった。

 「…え?」

 中年男性が発した「え?」は、バニラの香りがした。なんだか危険な予感と、香りが強すぎてその場から消えたい思いがぶわぁっ、と広がった。

 そこで起死回生の手を打った。

「いや、40℃だと蒸し暑いな、って…」

 滑舌問題、もしくは聞き間違えで乗り切ろう作戦である。

「…え?」

 回生は出来なかった。しょうがないので、年1出るか出ないかの最高の愛想笑いでストライクを決めた。いや、フォアボールか。

 中年男性はそれから何も言わず、休憩室から去って行った。

 自分は思った。

 もう「40秒で支度しな」とは言わないよ、絶対。