渚のお釈迦サマー

実に適当なブログです。

ラガーが醸し出す強さ。

 今話題のスポーツといえばラグビー

 ワールドカップで順調に勝ち進み、日本中を熱狂の渦に巻き込んでいる。

 それにしてもラガーマンはかっこいいなと思う。強靭な肉体を持ち、突き進む姿は見る人をそれだけで感動させてしまう。

 そもそもラガーというワード自体がかっこいいし、強そうだ。ラガーは強さの象徴なのかもしれない。

 どんな弱そうなものでもラガーをつけると強そうに見える、気がする。

 例えば蟻。

 彼らは実際は強いのだが、その小さな存在からは弱さを感じてしまう。

 そこでラガー蟻という存在を提唱する。蟻の中でも屈強な蟻につけられる称号だ。

 ラガー蟻は、女王蟻の為に誰よりも働く。その気になれば人間すらも巣の中に押し込めてしまう。場合によっては自動車や飛行機すらも押し込める。

 そして女王蟻に「なんで食えないもの持ってきた!」と憤然と罵られる。

 意気消沈のラガー蟻。

 確かにラガー蟻は強いし力持ちで、他の蟻には出来ないことが出来る。しかしそれだけでは駄目なんだとラガー蟻は思い知ったのだ。

 ラガー蟻はまだまだ成長段階。きっとこれからも多くの失敗を繰り返すであろう。

 それでもラガー蟻は強く生きていく。

 女王蟻の為、自分の為、蟻という社会の為に。

 そして、自分はそんなラガー蟻がいる巣に、お湯を流し込んで生きていきたいと思う。

尾瀬まいこ「強運の持ち主」を読んでみた。

 はっきり言って自分は強運の持ち主ではない。

 むしろ凶運の持ち主である。

 あれは忘れもしない、ある街のお祭りでのことだ。

 その街は、所謂都会に分類される所で、自然と街の規模も大きくなる。それはそれは多くの人で賑わう。そんな祭りに相方と来ていた。

 屋台が隙間なく連なっていて、群衆はやがて一つの大きな列になる。右往左往するのも一苦労。どうにか目的だったフランクフルトをゲットし、食していた瞬間だった。

 頭に僅かな衝撃を感じた。気のせいと言えば気のせい。しかし、何故だか確信めいた予感が頭をよぎった。

 相方に恐る恐る聞く。

 「頭、何かついてない?」

 相方は黙っていたが、明らかに怪訝そうに顔を顰めた。

 頭の衝撃は鳥のフンだった。

 こんだけ人いるのに、何で俺!?

 心の中で叫んだ。

 運はなかったが、うんこがついたのである。それはもうべったりと。

 さて、ガラリと本題に戻そう。

 本作は、あ、本題というのはタイトルを見てもらえばわかると思うが、これは実は読書感想文なのである。エピソードトークの記事ではないのである。

 しきり直して、本作の主軸としてあるのが「占い」である。

 よくテレビとかで占い師が特集されていたり、街中を見ると、布がかけられたテーブルの上の水晶を愛でている占い師らしき人がいると思うが、そんな占い師の話である。

 ただ主人公は、占いの知識があまりなく、技術、つまりはトーク力で人を導くテクニックを使う。

 一見詐欺の様でもあるが、それは読んでみると違うことに気づく。

 それは占い師の本質を本作で感じ取ったからだと思う。

 物語は占いに来た客たちのエピソードで構成される。占いを間に受けた客たちの行動。それを見届ける主人公の変化。

 それらが、さらりとした滑らかな文体に乗っかり、展開されていく。

 後味さっぱりな、大根おろしの様な作品だと驚嘆する。

 それに比べ、このブログはなんだかぼってりしている。驚嘆する。

ドフトエフスキー「罪と罰」を読んでみた。

 まず先に書いておきたいのが、本作はロシアで生まれた小説ということだ。

 そもそも時代背景が現在と違う、というのもあるのだが、大きくは国民性が違うので、やはりわかりずらい部分がある。

 自分は一度ラビリンスに潜り込んでしまったのだが、その大きな原因が名前問題である。

ペトローヴィチさんとベトローヴナさんとマルメラードワさんとマルメラードフさんが、一堂に会してしまうと何がなんだかわからなくなる場面が多々出て来る。

 日本で言うと、佐藤春吉さんと伊藤春吉さんと佐藤直義さんと伊藤室伏さんが、一堂に会するような状態だ。

 とは言え、気にせず読み進めれば把握は出来てくるはずだ。

 根気よく読むことが大事。そう伊藤室伏さんも言っている。

 さて、本作の主人公なのだが、途轍もなく難解な思考を持っている。

 自分は共感とは程遠いところへと旅立ちそうになってしまった。

 また佐藤春吉さんも同じようなことを言っていた。じ、自分、共感、で、出来かねますわぁっ、と言葉を残している。

 そんな主人公はある日意を決して事件を起こす。自分の哲学と理論により、主人公は金貸しの老婆とその妹を殺してしまうのだ。

 しかも運が味方し、主人公は上手く逃げ出し捕まらずにいた。その代償として主人公は、激しく悩み苦しみ抜く。

 そんなの当たり前だ、と厳しい言葉を投げかけたのは伊藤春吉さんだ。彼は真面目で、曲がった事が大嫌いだ。

 伊藤直義さんもそれには同意を示している。 

 そして悩み苦しみ抜いた主人公は様々な出会いによって罰を選ぶ。それは主人公にとって、周りの人間たちにとって、限りなく意味のある罰だった。

 これには佐藤春吉さんと伊藤春吉さんと佐藤直義さんと伊藤室伏さん、全員がよくやった!と、称賛を贈っている。

 お前らは一体何なんだ。

三浦しをん「舟を編む」を読んでみた。

 未読の頃、タイトルからこの物語を推測する遊びを行なった。

 主人公は旅人で世界を小さな舟で旅をしている。しかし、舟は限界に達し航海の途中で壊れてしまう。

 手始めに舟底から海水が刹那的に溢れ出し、最終的には帆も、船体も崩れていく。

 主人公は焦った。そして見つけたのが毛糸。

 そうだ、編むんだ!

 舟を編むんだ!

 もちろんそんな話ではなかった。そんな話だとすれば、ほぼバッドエンドに違いない。トゥルーエンドまでの道筋が見えてきやしない。

 本作は、辞書作りに魂を燃やす人たちの物語である。辞書を航海に例え、舟を編んでいく。

 自分自身もそうなのだが、辞書の製作過程、そもそも辞書自体に注目する人はあまりいないと感じる。

 わーい、新作の辞書だー!すごい!こ、こんな言葉まで…これは次回作にも期待だな。

 とか。

 この辞書は自分に合わないな。やはりあの出版社のじゃないと駄目だな。

 とか、言ってる人を自分は見たことがない。

 この作品によって辞書作りとは、奥深く、一筋縄ではいかないことを知りぶるぶると身悶えてしまった。

 何より驚いたのは、自分が思っているよりも、壮大な時間がかかることである。

 本作では約十年の月日をかけて完成する辞書があり、それが物語の根幹となる。

 そして、何よりミスが許されないのだ。

 例えば、印字ミス。これは致命傷で、購読者の辞書への信頼を一気に失わせてしまう。完璧なはずの辞書に間違いは許されないのだ。

 そんな辞書作りに魅力的な登場人物たちが、どう向き合っていくのか。はたして。

 毛糸の舟では描けないストーリーが、ここにある。

米ラプソディー。

 自分には一緒に暮らしている愛すべき相方がいる。彼女はある日、お米券を手に入れてきた。

 そして、高い米を買おう、ということで意見が一致した。

 と言いつつも、いつしかお米券のことは記憶から消えていた。その内、自分の中でパンのムーブメントが起こり、塩パンはだいたい友達になっていた。

 そんな時、ついに相方が高い米を購入。

 食卓に出された米は、見た目からしていつもと違っていて、燦然と輝いていた。キラキラ光るそれは、眩しくて金色だった。まあ、そんなわけはないので普通に幻覚だったんだと思う。変な薬はやっていない。

 やはり日本人は米だ!と悟り、買ってきていた塩パンを見つめながら高い米を食した。

 一口食べて、今までの米とは全く違うものだと身震いをする。咀嚼する度に感じるもちもち感。そう、それは相方の様にもちもちして柔らかかった。

 目の前の塩パンも嫉妬している。

 相方と「やっぱ高い米は違うねー」と燥ぎ倒した。

 次第に、あれ、柔らか過ぎない?と訝しんだが、高い米に慣れてないだけだろう、と自己処理をした。柔らかすぎて、最後の一口になると、安い米でいいな、としみじみ思った。

 塩パン食べたーい、と途中から思いが滲んだ。

 それから数日後、自分が米を炊くことになり、高い米の袋を初めて見た。

 …ん?

 袋には「もち米」と書かれていた。

…ん?

 相方にそれを見せる。

…ん?

 その日は、二人で塩パンを買って食べた。

 そりゃ柔らかいはずだよ。

 だってもち米だもの。

 結局我々は食べ慣れた安い米が一番美味いことに気づいてしまった。

 その安い米こそ我々の、そしてこの物語の

 おしまい(推し米)だ。

 

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村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んでみた。

 同様のパターンで、B'zさんの、愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない、という作品がある。

 この歌のヒロインはわがままで、主人公は愛のままに生きる、しかし、君だけは傷つけない。まさに歌詞はこのタイトル通りに展開していくのだ。

 いつかこの様な関係を築けたらいいな、と慮る。慮るのだが、今回そんな自分の願望はどうでもいい。

 言いたかったことは、本作もまさに内容がタイトル通りの展開を見せていく。言い得て妙だと感じる。

 とは言え、やはり読まなければピンとくることはないだろうけれども。

 まず注目すべきは多崎つくるが色彩を持たない理由だ。人にはそれぞれ個性があるのだが、今回で言う色彩はそういうことではない。

 単純に多崎つくると仲が良かった仲間たちの名前に色が入っていて、唯一多崎つくるにははいっていないのである。

 そして彼の巡礼の旅。

 詳しくは読んで頂きたいのだが、要は旅をする。それは単純に、旅、と言っていいのかわからないけれども。

 そんな旅の始まりは、多崎つくるが気になっている彼女がきっかけだった。相性もよく、彼女も満更ではなさ気に見えた。

 しかし偶然見かけた彼女の笑顔に、多崎つくるは疑惑を抱く。

 旅の果てに彼が得たものとは果たして。

 B'zさんの愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない、をBGMにぜひどうぞ。

 (多分合わないけど)

何も言えなくて、秋。

今週のお題「○○の秋」

 

 いろんな秋がある。

 思い当たるだけでも、スポーツであったり、食欲であったり、芸術であったり、読書であったり。

 自分が実践しているのは、スポーツと読書である。

 スポーツはジョギングを定期的にしていて、最近だと気温も下がり、秋の風が気持ちいい。あー、秋の風ー、と恍惚の顔を浮かべながら走っている。

 ただ、秋だから、で行なっているわけではなく、よくよく考えれば年中行なっている。

 つまりは一年中秋状態。

 暑さも、寒さもやってかない秋無双なのである。といいなあ、と思っている。

 さて、主題に入ろう。

 実は今回「竹城のあき」と、いうことが言いたくて書き始めている。どうしても書きたくて、書きたくてしょうがなかった。

 いや、わかってはいるのだ。キラーワードだと思っていたものが、それ程面白くはないことは。

 「竹城のあき」とは一体何なのだ、と言われると困るのし、意味がほとんどないということも理解している。それでも自分はここに書きたい、と強く思う。

 こういう衝動は頻繁に起こる。やめよう、と初めは思うのだが、気づけば書き始めている自分がいる。今回もその衝動という脳からの指令に従い書いている。

 竹城のあき。

 この言葉の意味合いは、自分にはわからない。なので、これを読んでいる皆様に委ねたいと思う。

 どうか、「竹城のあき」の意味を探して頂きたい。それが難しいようなら、育てて、どうにか意味を見つけ出して頂きたい。

 自分からの限りなく意味がない、お願いである。