渚のお釈迦サマー

実に適当なブログです。

ドフトエフスキー「罪と罰」を読んでみた。

 まず先に書いておきたいのが、本作はロシアで生まれた小説ということだ。

 そもそも時代背景が現在と違う、というのもあるのだが、大きくは国民性が違うので、やはりわかりずらい部分がある。

 自分は一度ラビリンスに潜り込んでしまったのだが、その大きな原因が名前問題である。

ペトローヴィチさんとベトローヴナさんとマルメラードワさんとマルメラードフさんが、一堂に会してしまうと何がなんだかわからなくなる場面が多々出て来る。

 日本で言うと、佐藤春吉さんと伊藤春吉さんと佐藤直義さんと伊藤室伏さんが、一堂に会するような状態だ。

 とは言え、気にせず読み進めれば把握は出来てくるはずだ。

 根気よく読むことが大事。そう伊藤室伏さんも言っている。

 さて、本作の主人公なのだが、途轍もなく難解な思考を持っている。

 自分は共感とは程遠いところへと旅立ちそうになってしまった。

 また佐藤春吉さんも同じようなことを言っていた。じ、自分、共感、で、出来かねますわぁっ、と言葉を残している。

 そんな主人公はある日意を決して事件を起こす。自分の哲学と理論により、主人公は金貸しの老婆とその妹を殺してしまうのだ。

 しかも運が味方し、主人公は上手く逃げ出し捕まらずにいた。その代償として主人公は、激しく悩み苦しみ抜く。

 そんなの当たり前だ、と厳しい言葉を投げかけたのは伊藤春吉さんだ。彼は真面目で、曲がった事が大嫌いだ。

 伊藤直義さんもそれには同意を示している。 

 そして悩み苦しみ抜いた主人公は様々な出会いによって罰を選ぶ。それは主人公にとって、周りの人間たちにとって、限りなく意味のある罰だった。

 これには佐藤春吉さんと伊藤春吉さんと佐藤直義さんと伊藤室伏さん、全員がよくやった!と、称賛を贈っている。

 お前らは一体何なんだ。