渚のお釈迦サマー

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実に適当なブログです。

F・スコット・フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」を読んでみた。

 村上春樹さんが言ってた。

 この小説マジおもしれー!って。

 実際そんな言い方していないと思うが、自分の頭の中の村上春樹さんはそんな口調だった。

 おそらく頭の中の村上春樹さんは、髪がピンクで、がっつりピアスあけまくっている。そして、ぽんぽん!言ってる。

 そんな空想の、いや違う、実際の村上春樹さんが面白いと仰っていた作品「グレートギャツビー」

 ミーハー心で読んでみた。

 

 主人公は、ギャツビーの隣に住んでいた。ある日、ギャツビーの家のパーティーに呼ばれ、ギャツビーと面識をもつ。

 ギャツビーは金も名誉も持っていたが、それらは作られたものだった。

 そしてギャツビーにはある願いがあった。それはとても貴い願いであった。

 

 この物語は、ギャツビーの過去に起因している。今のギャツビーから見ると、決して誇れる過去ではないことは確かである。

 そんなギャツビーに惹かれる主人公。面識を持った時の彼はテンションマックスだった。なんせ夢のようなパーティーに参加し、その幹事に出会えたのだ。

 自分も若い頃パーティーに参加したことがある。その幹事は、髪がピンクで、ピアスがっつりあいてたので、その時点で帰ったのだが、ギャツビーはそうではない。

 紳士だったのだ。それは作られたものだったけれども。

 終盤に入ると、ある事件のせいで、ギャツビーの周りには誰もいなくなってしまう。

 剥がされた紳士に主人公は必死になる。ギャツビーのことを儚く思い耽る。

 そして、最後にギャツビーのいた街を去る主人公。それは同じ境遇にならなければ、真からはわからない気持ちだと思う。

 ギャツビーの存在は作られていた。

 だがしかし、主人公にとっては、それも含めての「偉大なるギャツビー」だったのではないだろうか。